تسجيل الدخول俺の手が止まり、思わず彼女に振り返ってしまう。
めらめらと焼ける石炭にまみれた灼熱地獄の中、俺の汗が氷みたいに冷たくなる。暑さと寒さ。矛盾する空気が世界を支配する中でさつきさんはゆっくりと、けれど確かに、「すみません、私、悪い子なんです」 そう、泣きながらこぼすのだった。「悪い子……なんです……ぐす……ごめんなさい……」 ぽたぽたと額から玉粒の涙がこぼれ、何度も目元をぬぐうさつきさん。 声はかすれ、弱々しく、そして――「本当はただ素直になって、みんなから愛されたかっただけなのに、やっぱり私、悪い子なんですね」 健気だった。 彼女の願いは素朴で、でも、不器用。 そのかわいらしさが、何故か、愛しく響く。「あと……これも言っておきます。実はサトラレ征伐した時、私にも痛みが行くんです」「え……ど、どういうことだい?」「この霊の悪意って、確かに悪霊そのものが出しているものなんですが、私の心を栄養とし、私の悪意を放出してい俺の手が止まり、思わず彼女に振り返ってしまう。 めらめらと焼ける石炭にまみれた灼熱地獄の中、俺の汗が氷みたいに冷たくなる。暑さと寒さ。矛盾する空気が世界を支配する中でさつきさんはゆっくりと、けれど確かに、 「すみません、私、悪い子なんです」 そう、泣きながらこぼすのだった。 「悪い子……なんです……ぐす……ごめんなさい……」 ぽたぽたと額から玉粒の涙がこぼれ、何度も目元をぬぐうさつきさん。 声はかすれ、弱々しく、そして―― 「本当はただ素直になって、みんなから愛されたかっただけなのに、やっぱり私、悪い子なんですね」 健気だった。 彼女の願いは素朴で、でも、不器用。 そのかわいらしさが、何故か、愛しく響く。 「あと……これも言っておきます。実はサトラレ征伐した時、私にも痛みが行くんです」 「え……ど、どういうことだい?」 「この霊の悪意って、確かに悪霊そのものが出しているものなんですが、私の心を栄養とし、私の悪意を放出しているには変わらないので、霊が傷つくと私の心も傷つくんです」 「そんな……」 「でも、知られたくなかった。それは私も痛いからと、それと、サトラレがあると、私、愛されるから。誠二様に」 「…………」 何を言うべきだろうか。迷う。 叱るべきか? 確かにそれは福音となるだろう。でも、本当にそれでいいのか? 慰めるべきか? 確かにそれは救いとなるだろう。でも、それで足りるか? 「だから我慢してきたけど、でも、愛されるから、黙って、育ててきました。こっそり」 彼女の言葉は懺悔でありながら攻撃になっており、そしてその矛先は俺のみならず自分に対しても向けられている。 「霊は私の心を媒体としています。だから私が悪い子であればあるほど霊は成長するんです。いずれ、念波がまき散らすまでに成長するとはわかっていました」 でも、その理由は、その理由は―― 「でもね、それでもね、たとえ私の心を悪霊が食い破って、私も、みんなも、もろとも殺して、悪霊が私の体を離れ、日本中を暴れ回っても、そのま
「……え」 彼女は一体何を言っているんだ? 俺はたまらず膝をつき、耳を傾ける。 「私、ご存知の通り口が悪いでしょう? これ……昔からなんですよ。態度も悪くて、そのせいで……みんなから、嫌われてました」 今まで黙っていたこと。隠されていたこと。 それが七岸さつきという女の子の口から吐露される。 「でも、本音は違った……」 そしてそれは、酷く悲しいものであった。 「さつきさん……」 「本当は、愛されたかった。好かれたかった……自分の気持ちに……正直になりたくて……でも、照れくさくて、恥ずかしくて……出来なかった……」 「さつきさん……っ!」 知らなかった。気づかなかった。意識しなかった。 さつきさんの慟哭なんて、考えもしなかった。 そのことが、酷く恥ずかしい。 彼女は続ける。 「そんな時、あの祠を見つけたんですよ。古代の悪霊を封印していた祠。あの時、霊の声が聞こえたんです。願いを叶えてやるって。今思えば悪魔の誘いでした。でも私、自分に素直になれるんじゃないかなって思って、魔が差して……」 「壊してしまったんだ」 小さく、さつきさんは頷く。 「……はい。意図的に霊を蘇らせて、私は確かに素直になれました。でもそれは、サトラレというカタチで、そのせいで私、今までよりずっと辛い日々を送ることに……」 「…………」 「祠の下にある説明文にはこうありました。意訳なんですけど、古くよりこの地で邪念を放って暴れていた悪霊で、人々は何とか人身御供を捧げて、それで封印していたって」 なんということだろうか。知りたくなかったこと。わかりたくなかったことが今、白日の下にさらされる。 それは脳への念波以上に、胸に深い傷を作った。 「誠二さん! 火夫がそろそろ限界よ! どうやらこの人、山口で交替なかったみたい」 鈴子さんの声が福音となった。俺はわずかに頬を緩め、再び立ち上がる。 「わかった! 変わる! さつきさん、そういうわけだから話は……」 「いえ、聴いてください……私も、手伝いますから
俺は毛布を探し、聖子は子守歌を歌う。さつきさんを寝かせるためだ。 だが、それを阻止するように、さつきさんが手を伸ばし、俺のマントを掴んできた。ぎゅっと。 「う……ぁ……」 「あ、さつきさん! 起きちゃダメだよ。寝てないと!」 「誠二さん、岡山を通過したわ! 勿論止まらせない!」 「よし、機関夫と火夫にはこのまま不眠不休で働いてもらえ!」 我ながら凄まじく無茶な命令だと思う。しかしやむを得ない。死んでも働かせる。大和魂を見せつけろ、火夫! しかし鈴子さんは強く首を振った。 「でも、遠すぎるわ。関東まではもたないわ。電車は何度か乗り換えるから石炭は足りると思うけど、流石にぶっ通しで働かせたら、倒れてしまう!」 「く……どうにかして交替させないとダメか!」 人間は機械ではない。無理に働かせても限界が来たら倒れてしまう。当然の摂理。 と、聖子が俺の手を握ってくる。彼女の顔は真剣そのもので、凜々しさすら伝わる。 「兄者。兄者は頭がいいよね? 一高生だもんね。この前の試験でも七位だったし」 「ん? いきなり何だ?」 「そして、体力もあるよね? そのたくましい筋肉! 素敵すぎるよ!」 「なるほど、よし、わかった。俺が火をくべる! 火夫をしばらく寝かす!」 そうだ、この手があった。俺は魂! 柔道も嗜んでいるし、体力には人一倍自信がある。今が岡山だから、十五時間くらい火をくべれば東京につくか? 楽勝だ。 俺はすっくと立ち上がり拳を震わせる。それを見て聖子がぱちぱちと拍手を。 「それでこそ兄者だよ! あたしは七岸さんのお世話をするから!」 「頼んだぞ!」 俺は元気よくそう告げると、全力疾走―― 「ま、待ってください」 しようとして、さつきさんが何故か止めに入った。 どうして寝ていてくれないんだ。多少の苛立ちが俺を襲う。依然、脳をえぐる念波はピリピリと俺たちを攻撃しているからなおさらだ。 「さつきさん! ダメだよ、寝ていて。俺たちが必ずなんとかするから。なあに、体力には自信がある。今
俺はふうと息をつき、聖子がソファに腰掛けるのを待って切り出す。 「よし、まずはこのサトラレを抑える方法を模索しよう」 一等車は二等車と違って等間隔に椅子が設置されているわけではない。まるでホテルの応接室のようにフカフカのソファにマホガニーのテーブルが円卓状置かれ、ゆるりと出来るようになっている。テーブルの上には退散する前に駅員が用意したお茶が人数分置かれていて、汽車の振動に合わせてカタカタと揺れている。 「そろそろ次の駅につくけれど、どうするの?」 「決まってる。汽車は止めさせない! そのままぶっちぎらせろ!」 「ええ、わかったわ!」 鈴子さんはそう胃って立ち上がり、機関夫の元へと駆けていった。十二単が汚れるなんて露ほども気にせずに。 俺は頭をかかえる。 「必ずあるはずだ。俺に出来ないことはない! 逆境よ吹け! 嵐となって俺を襲え! その全てを打ち砕いてやる!」 と、そこで妙案が閃く。俺はぱちんと指を鳴らす。 「よし、聖子。さつきさんを寝かせよう。起こしてるからまずいんだ!」 俺の言葉を聞き、聖子もぱちんと指を鳴らす。 「流れる石兄者! それでこそスーパーグレイテストデンジャラス兄者だよ! ねー、うりっち」 「にぃー」 うりっちは前足を突き出し、賛同の意を示すように高く高く返事するのだった。
汽車に乗り込み、さつきさんをソファに寝かせる。一等車に儲けられたフカフカのソファは大きさもあり、さつきさんを横にしても十分スペースが確保できていた。 「はぁ……はあ……うっ……く……」 (――――――――――――――――) 脳に直接届くデストラクションテレパシー。 傍で看病している俺は思わず顔をしかめてしまう。 「ぐ……なんて……悪意だっ!」 と、周囲を見るとどうやら俺だけでなく、聖子も、鈴子さんも、うりっちでさえも同様に苦しそうにうずき出していた。 どうやらこの念波、かなり広い範囲にまで届いている模様。 と、機関夫が大慌てで一等車の車両へと乗り込んできた。 「い、入地様! た、大変です。駅員にも被害が……っ!」」 「げ……そっちにまで拡散してるのか! 鈴子さん!」 「ええ、任せて! 車内にいる全駅員に通達! 必要最低限を除いて避難! さらに下車した駅員は他の駅に連絡! 東京に行くための便を除く全ての運行を停止し、ただちに全員退避! 本日は一つを除いて全て不通です!」 「は、はい!」 機関夫は頷いて一等車を飛び出した。途端、汽車は緊急停車し、駅員たちが蜘蛛の巣を散らすように退散していく。しかる後、汽車はぼーっと音を立てて運転を再開した。 「まさか……ここまで拡散するとは……」 がたんごとんと音を立てて揺れる汽車。窓から流れる景色は田舎を表象するのどかなものであるのに、冬の灰色の空と相俟って酷く不気味で陰惨なものへと感じさせる。 「誠二さん、まずいわよこれ、どんどん念波が拡散されているわ……言語にすらなってない念波。一応全員逃がしたけど……」 「助かるよ鈴子さん……。駅がガラガラだ」 どうやら連絡は上手くいったらしい。駅を通過する度にその人気の無さに驚く。勿論ノンストップで突っ切っているのだが、万が一ということもあるからな。 鈴子さんはソファに腰掛けながら、ははと苦笑い。 「私の権力の限界よ、これ」 「いや、十分だ。ありがとう」 常人にはこんなことすら絶対に出来ないからな。 元老にでも不可能
さつきさんの体、もといサトラレに異変が生じ、俺たちは急遽東京へ戻ることにした。 これは山口ではまだ研究所が関係しておらず、新聞社や雑誌社、精神科医の心に幾許かの疑いが残っている場合、すっぱ抜かれたら大変だからである。 さつきさんの将来を考えた場合、山口でコトを治めるのはどう考えても危険だった。 たとえサトラレを征伐できたとしても、彼女はそれからも何十年と生きていかなければならない。今日だけどうにかすればいいわけではない。 そう考え、俺や鈴子さんのお膝元である東京でなら情報統制もしやすいし、医療機関も充実している。山口はにぎやかな所だが、東京ほどではない。帝都とまで呼ばれるにはワケがある。 彼女から放たれている念波が周囲に拡散するリスクはあるが、それは山口にいても同じこと。むしろ人が多い方が隠しやすいのだ。 さて、以上の理由によって東京に向かうこととなったわけだが、ここに問題がある。 どうやって帰るかということだ。 まさか山口から東京まで悠長に歩いて行くわけにいかないし、自動車なんて誰も持っていない。いや、入地家もしくは市川電機本社に行けば流石にあるが、そんなもん呼び寄せる時間もない。 従って、汽車以外に帰る手段がなかった。 汽車。つまり駅を経由する。人がいる。さつきさんのサトラレが彼らを襲う。 この問題をどう解決したかというと―― 「誠二さん、一等車を貸し切ったわ」 鈴子さんの無敵の権力にあやかるしかなかった。 彼女はまず東京までの路線を独占した。さらに警察を動員し、乗客たちを強制的に追い払った。日本は法治国家ではなかったのか? という疑問すらわき起こる強権である。 とはいえ、今はそんな彼女が凄く頼もしい。 「さ、流石だね鈴子さん。取り敢えず、行こう、さつきさん」 「う……く……う……」 俺の肩に抱かれるさつきさんはまともな返事もできず、苦しそうにうめき声を出すことしか出来ないようだった。 それと同時に、声にならない謎の念波が、ちりちりと俺の脳みそを焦がしてくる。 痛い。吐き気もする。倒れそうになる。で
その後、俺は自室に戻ると私服に着替えて勉強を行う。壁にかけられた時計を見ると六時。そろそろ夕飯の時間だ。 七岸さんの様子が気になる。俺は鉛筆を机の上に置くと、ちょっと覗くことにした。 すると廊下でばったりと藤高に出会ったので、これ幸いと訪ねてみる。 「藤高、彼女の仕事ぶりはどうだ?」 藤高はきちんと気をつけの姿勢を取り、ハキハキと答えてくれる。 「はい、誠二様。真面目に丁寧によくやってくれています。いい仕事ぶりですな。女給経験があるのですぐに覚えました」 「それはよかった」 「ただ……やはり」
俺は一端土間を出て、外の空気を吸う。もう空は真っ暗で満天の星々がきらきらと輝いている。月は少し欠けているな。 肌をえぐるような凍てつく寒さが俺の全身にまとわりつくが、不思議と不快ではなかった。冬の透徹した空気が俺の肺に入り込む度に心が洗われるよう。 夕飯まで外で体操でもしようか。そう思って屈伸を始めた時、がちゃりと音を立て、七岸さんが出てきた。もう出来たのか? いや、手に何か持っている。円筒状の物体だ。 「あ、七岸さん。それは?」 「見てわかりませんか? 目が腐ってるんですか? クズ野菜などのゴミ出しです。これは裏に置いておけば
師走特有の北風が夕方の空に吹きすさぶ。 学ランとマントをまとう俺の体に針のごとく突き刺さる圧倒的な寒さ。しかしそんなことを気にせず東京の街並みを全力で突き進んで行った。 家までは走って三十分。まさにギリギリだ。しかし諦めない。俺は人々の隙間を縫いながら疾駆する。 往来は夕飯時が迫っているということもあり、主婦や子供たちが談笑しながら買い物し、それに呼応するように様々な店の主人が大きな声を張り上げ、それが東京に活気をもたらしていた。 うん、つまり彼ら凄い邪魔なんですけどね。まあ仕方あるまい。この困難が俺をより一層燃えがらせ
いくたびも、雪の深さを、尋ねけり。 正岡子規が読んだ句の通り……と言うには雪などこれっぽっちも降っていないし、にこやかな晴天が空を覆い尽くす十二月上旬の東京市。 本郷区向ヶ丘に居を構える第一高等学校の廊下で、俺は先日のテスト結果が張り出された紙を眺めながら盛大に高笑いしていた。 「はーははっははっはは!」 市川誠二の名前が七番目に記されている。つまり七位だ。試験一週間前から睡眠五時間で勉強し続けた甲斐があったと言えよう。周囲の学生たちがぎょっとした目でこちらを見るが、俺は全く気にしない。 「んー、快調快調。よっしゃ、次は五位